10.東京大空襲の殺戮

 毎年815日は、政府主催の「全国戦没者追悼式」が北の丸の東京武道館で行われています。
 自分も、東京大空襲に遭遇しましたが、家族全員無事でした。

1. 東京大空襲の殺戮(さつりく)
 東京大空襲があったのは、1945310日の未明です。
 自分は、その時3.5歳でした。前日の夕方にJR総武線錦糸町駅の南側にある映画館の中に家族5人でいました。

 自分が大きくなって、この東京大空襲の話を聞いたり、記事にした物を読みました。東京大空襲は、首都である東京の下町の空襲です。下町は、木造家屋が密集して、人口密度が高い地域です。
 米軍は、この下町を縦断爆撃して、焦土と化し、殺戮することでした。

 自分は、ぐっすりと寝ていたので、この大空襲の時を覚えていません。朝、映画館でトイレに行ったら、壁が焼け焦げて、何か嫌な臭いがしたのを覚えています。父と外に出たら、真っ黒になった人の死体が見渡す限り横たわっていたのです。その中で、手や体が少し動く人を見ていたら、すぐに動きがとまりました。恐ろしいものを見ました。

 それから、父は自分を背負い、乳母車に祖母を乗せました。母は弟を背負いました。死体の間を通り抜け、千葉県の知人を頼って歩いたそうです。

 疎開先から戻ってきて、何年か後に、錦糸公園で囲いができました。土に埋めた死骸を掘り出していたのです。それを、隅田川の近くにある東京慰霊堂に収めたそうです。

2. 竪川中学のクラス会
 竪川中学のクラス会は、毎年10月、錦糸町駅の北側にある喫茶店で開いています。この喫茶店からは、北側に錦糸公園の桜の木が見えます。
 クラス会は、最近10数名出席しています。自分は時々出席します。

 ある時、東京大空襲に遭った人がいるかを聞いたことがあります。一人は錦糸公園の防空壕にいた。もう一人は。錦糸町駅から南西に離れた中和小学校の中にいた。

3. 錦糸公園の桜の苗木を植える
 錦糸公園は、大空襲の痕跡が無くなるまでには相当の時間がかかりました。その間、徐々に解放してくれたので、学校帰りの遊び場でした。

 自分が錦糸小学の6年の時に、先生に引率されて錦糸公園に来ました。
 桜の木の苗木を何人かで、チームになって植えました。穴を掘り、苗木を植え、土をかけました。苗木を支えるために、両側から支柱を立て、その両側と真ん中の苗木を支える横木を渡し、しっかりと結びました。

 この桜の木の苗木を植えてから、今年で70年経ちます。今では、枝が支えられず、添え木で支えられています。
 今では、この桜は地域の花見の名所になっています。
 毎年、桜の下や周辺に敷物を敷いて、賑やかな宴が行われています。夜桜もきれいです。