漢詩は、短い言葉で作者の思いを述べています。時代背景や地域状況などを想定するのもいいでしょう。
今は四月で、桜の花も満開です。
春の情景を詠んだ中国の漢詩の中で、日本人としてなじみのある漢詩をいくつか紹介します。漢詩の中でも特に有名な二句を見出しにしました。最後の項目は、作者の感動した思いを表わしています。
漢字はわかりやすくするため、全て新字で表わします。原則として、原文、書き下し文、詩の意味を説明します。ふりがなは( )で示します。
なお、中国人の姓は、一文字が多いです。ふりがなは、姓と名の間を・で表示します。
1. 春眠暁を覚えず 処処に啼鳥を聞く
1300年ほど前、孟浩然(もう・こうねん)作の「春暁(しゅんぎょう)」の冒頭の二句です。
春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少
春眠(しゅんみん) 暁(あかつき)を覚えず
処処(しょしょ)に 啼鳥(ていちょう)を聞く
夜来(やらい) 風雨の声
花落つること 知(し)んぬ多少ぞ
詩の意味
春の明け方は、寝床でうつらうつらとしている。
家の外では、あちらこちらで鴬がさえずる声が聞こえてくる。
昨夜は風雨が激しかったようだ。
花もさぞかし、たくさん散ったことであろう。
寝床で春の明け方をのんびりと過ぎゆく情景を詠ったものです。
中国では、花と云えば梅や李(もも)をさします。
春の朝は、なぜ眠たいのか。春は、寒暖の差が大きく、夜が明けるのが徐々に早くなるなどで、体調が乱れて、眠たくなりやすくなるそうです。
2. 春宵一刻直千金 花に清香有り月に陰有り
900年ほど前、蘇軾(そ・しょく)作の「春夜(しゅんや)」の冒頭の二句です。
春宵一刻直千金
花有清香月有陰
歌管楼台声細細
鞦韆院落夜沈沈
春宵(しゅんしょう)一刻 直(あたい)千金
花に清香(せいこう)あり 月に陰(かげ)あり
歌管(かかん)の楼台(ろうだい) 声細細(さいさい)
鞦韆(しゅうせん)院落(いんらく) 夜沈沈(ちんちん)
詩の意味
春の宵のわずかな時間は、千金の値打ちがある。
花は清らかな香りを放ち、月はおぼろにかすんでいる。
歌声や笛の音でにぎやかだった高い建物からは、名残りを惜しむ声が細々と聞こえている。
中庭のぶらんこにも、だんだんと夜が更けていく。(鞦韆はぶらんこ、院落は中庭)
春の夜の過ぎゆく光景が時間と共に変化し、その時その時が千金の値をするといえるでしょう。
3. 千里鶯啼いて緑紅に映ず 水村山郭酒旗の風
1200年程前、杜牧(と・ぼく)作の「江南春望」の詩の冒頭の二句です。
千里鴬啼緑映紅
水村山郭酒旗風
南朝四百八十寺
多少楼台煙雨中
千里鴬啼(な)いて 緑紅(くれない)に映(えい)ず
水村(すいそん)山郭(さんかく) 酒旗(しゅき)の風
南朝の四百八十寺
多少の楼台煙雨の中
詩の意味
先ず、江南とはどこかです。それは、長江の下流の南側のことです。そこは、太湖など大小様々な多く湖があり、河口には上海があります。
春になると江南地方では、千里の遠くまで鴬がいたるところで鳴き、新緑の葉が桃李の花の紅(くれない)映(は)えて美しい。
水辺の村や山間の村では、人を呼び込もうとする酒屋の旗が風になびいている。
かつて南朝の時代には480もの寺院が建てられていたそうだ。
今もなお、多くの寺院が残っていて、霧雨の中にそびえている。
楼台は高い建物ですが、ここでは寺院のことをさします。
この詩は、春の江南地方が、湖水や山間地を一望した美しさと活力ある情景を詠んでいます。
この詩は、五感で感じられます。
目で江南を一望し、新緑の葉の緑・花の紅・酒旗の白が鮮やかで、高い寺院を霧雨の中に建っているのが見れる。
耳で鴬の鳴くこと、酒旗が風で揺らぐ音、湖水の波の音が聞こえる。
鼻で新緑や花の香り、酒の臭い、を嗅ぐ。肌で春風を感じる。
声を出して詩を読みますと、テンポのいいリズム感が味わえる。
4. 年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず
1400年ほど前、劉希夷(りゅう・きい)作の「代悲白頭翁(白頭を悲しむ翁に代わる)」という詩の一節に次の句があります。
古人無復洛城東
今人還対落花風
年年歳歳花相似
歳歳年年人不同
古人また洛城の東になく
今人かえって対す 落花の風
年年歳歳 花相(あい)似たり
歳歳年年 人同じからず
詩の意味
昔、洛陽城の東で花を楽しんだ人は、すでにいない。
今の人は、またここで風に吹かれて散る花を見ている。
来る年ごとに、花は相変わらず咲くが、
その花を見る人は、その都度変わっている。
この詩は、自然の変らない美しさと、その花を見る人が年々変わっていくというむなしさを歌っています。
5. 少年老いやすく学なりがたし 一寸の光陰軽んずべからず
900年ほど前、朱熹(しゅ・き)作の「偶成(ぐうせい)」の冒頭の二句です。
偶成の意味は、詩歌などが偶然にできるとか、ふと浮かんでできることを云います。この詩は、春の文字が入っていますが、ここでは時の過ぎる速さを述べています。
少年易老学難成
一寸光陰不可軽
未覚池塘春草夢
階前梧葉已秋声
少年老いやすく 学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘(ちとう)春草(しゅんそう)の夢
階前(かいぜん)の梧葉(ごよう)すでに秋声
詩の意味
若いと思っていたら、あっという間に年月が過ぎ、学問を成就していない。
わずかな時間も無駄にしてはいけない。
池のほとりの若草の上で夢を見た。その夢まだ実現しないうちに、
庭の桐の葉が、もう秋の風に吹かれた音が聞こえてくる。
この詩は、時間の流れの速さと、それに比べて学問の成就がいかに難しいかを対比して表現されてています。
時の過ぎるのが速いことを表現した言葉を二つ示します。
光陰矢の如し これは日本の格言だと思います。
歳月人を待たず これは「大相撲と漢詩」の記事を参照してください。
また、時間と人との関係を表わした言葉があります。
1300年ほど前、李白の「春夜桃李園に宴するの序」に、次のようなことばがあります。
「夫(そ)れ天地は万物の逆旅(げきりょ)にして、光陰は百代の過客なり。」
この意味は、そもそも天地は万物が泊まる旅館のようなもので、時間は永遠に過ぎていく旅人のようなものだ。
逆旅の逆は迎えることで、旅は旅人のことです。よって逆旅とは、旅人を迎える宿泊する場所です。
光陰とは、時間、月日、歳月を表わす言葉です。
百代とは、世代が長期に続くことで、長い年月、永遠を表わす言葉です。
その後、江戸時代の松尾芭蕉の「奥の細道」の冒頭に「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」とあります。
前掲の李白の言葉を引用しています。光陰を月日に代えています。
作者の朱熹の功績
朱熹は、儒学者として朱子学を立てました。
江戸時代は、幕府の官学の基本にこの朱子学を取り入れました。官学を学ぶ場所として湯島聖堂を建てました。この建物は、JRお茶の水駅の聖橋口から出て、聖橋を渡り、右下にあります。現存し、内覧できます。
6. 就職試験に合格した喜び
日本では、企業の就職試験に合格し、四月に入社式が行われています。
1400年ほど前、孟郊(もう・こう)は、50歳ごろやっと就職試験に合格しました。
長年の苦労が報われ、満面の喜ぶ情景を、「登科後(とうかのご)」という詩に表わしています。登科とは、科挙(役人になる登用試験)に合格することです。原文を示します。
昔日齷齪不足誇
今朝放蕩思無涯
春風得意馬蹄疾
一日看尽長安花
昔日(せきじつ)の齷齪(あくせく)誇るに足らず
今朝の放蕩(ほうとう)は思い涯(はて)無し
春風に意を得て馬蹄(ばてい)疾(はや)く
一日に看(み)尽す長安の花
詩の意味
これまで長年勉強した苦労は、今となっては誇るに足りない。
今朝、科挙に合格したことを知り、喜びは果てしない。
春風を受け、得意になって馬を走らせ、
一日で長安の都の花をすべて見尽くてしまおう。
詩の前半の二句は長年の苦労が報われたことを表わし、後半の二句は未来に向けて進もうとする意思を表わしています。
「遊子吟(ゆうしぎん)」について
遊子とは旅人、吟とは詩のことです。
この詩は、孟郊が科挙の試験に合格し、任地の溧陽(今の江蘇省)に老母を呼び寄せた際に詠ったものです。それは、長年の母親の深い愛情にやっと応えることができたという安堵の気持ちです。先ず原文を示します。
慈母手中線
遊子身上衣
臨行密密縫
意恐遅遅帰
難将寸草心
報得三春輝
慈母手中の線(いと)
遊子身上の衣(ころも)
行くに臨んで 密密に縫う
意(こころ)は 恐る 遅々として帰らんことを
寸草(すんそう)の心をもって
三春の輝きに報い得がたし
慈悲深い母親が手に持っている糸で、
旅に出る息子が身につける衣服を、
旅立ちに臨んで、母は心を込めて一針一針縫う。
慈母の心は、息子の帰りが遅くなるのを心配している。
一寸ほど伸びた草のような息子の心では、
春の三ヶ月間に太陽が輝くような慈母の恩に報いることがきるだろうか。
詩の前半の四句は旅支度をする慈母の心情を、後半は息子が慈母の恩にどのぐらい報いることができるかを詠っています。