昨日、落語「竹の水仙」を聞きました。
時代は江戸時代の初期で、場所は東海道の神奈川宿。
天下の名工・左甚五郎は、京から江戸に下る途中、神奈川宿で無一文になり、泊まるところを探していた。
薄汚れた着物の甚五郎には、呼び止める宿がなかった。
宿場が終わろうとしていたら、大黒屋金兵衛から呼び止められ、宿を決めた。
朝昼晩と毎回一升の酒と旨い物を出すことと、家賃は出発時に一括払うと約束をした。亭主の金兵衛は、静かな2階の部屋に甚五郎を案内した。
10日が経つと、亭主の妻はお金に困り、亭主に家賃の支払を請求するようにせがむ。甚五郎は文無しを伝えると、亭主はとても困る。
甚五郎は、裏の竹藪から竹を切るので、ノコギリを用意させる。
一緒に竹藪に行き、金兵衛に孟宗竹を手頃の大きさに何本か切らせました。
それからは、甚五郎は部屋に閉じこもって「竹の水仙」を彫りました。夜中に、寝ている亭主を呼び起こして次のことを伝えた。
・この寸胴の竹の花生けに水を一杯入れ、竹の水仙を指す。
・これを外から見て宿の目立つところに掛け、売り物と書いた紙を添える
・買い手が付いたら、その金で家賃を払う。
亭主は、その通りにした。
朝日が差してくると、竹の水泉のツボミが開き立派な花になって、あたり一帯に良い香りを漂わせた。
早朝、熊本藩主細川越中守の行列が通る。殿様の駕籠が大黒屋の前で止まり、良い香りのする竹の水仙を眺めた。御側用人の大槻刑部(ぎょうぶ)を呼び、あの水仙を求めるように命じ、行列は本陣に向かう。
刑部は堅物で世事のことがわからない。刑部は大黒屋に入り、亭主と値段の交渉をする。
亭主は、2階に上がり、甚五郎に2朱や3朱ではどうかと伺う。甚五郎は、そんな安くは渡せない。指2本を出し、200両だ。
亭主は刑部に200両だと伝えると、刑部は驚いて、買わずに宿を出て行った。
それを聞いた甚五郎は、亭主に「あの男は、真っ青になって戻ってくる。売って下さいと頭を下げる」と云う。
刑部は、本陣に行き、休んでいた藩主越中守に「買わずに戻って参りました」と報告する。いくらだと聞くと、指2本を出す。二万両かと聞き返す。
刑部はとんでもない、200両だと答える。越中の守は、あの「竹の水仙」が京都御所にしかない逸品であることを知っていた。激怒して、「もう一度その宿屋に行き、買って来い。買えなかったら切腹し、お家断絶を命じる」と云われた。
刑部は大あわてで、宿に走る。
宿屋の主人は、刑部に売り切れの紙を出し、「一発叩かれたことを踏まえて、値段は300両になった」と云う。刑部はそれでも買いたいと云う。
亭主は、刑部にその訳を聞くと、「創ったのは、名工の左甚五郎先生」だと云う。
刑部は、作品を持ち帰った。
驚いた宿屋の夫婦は、甚五郎に謝りに行った。「あの竹の水仙は300両で売れました。」と云い、お金を甚五郎に差し出す。
甚五郎は200両ではないのか。「自分は制作者で、亭主が商売人。200両で仕入れて300両で売るのは商売人の常識。100両は亭主のもの。こちらは、200両の中から、家賃と迷惑料として50両を亭主に渡す。」と云う。
亭主は甚五郎に、「神奈川中の竹を仕入れますので、竹の水仙を創って下さい」と頭を下げる。
甚五郎は、「竹に花を咲かせると、寿命が縮まる」と云って、軽くいなしました。
物事の価値の分かる人と分からない人の違いは大きいです。
自分は、特定な分野において物事の価値が分かるようになりたいものです。その特定な分野とは何にするかが課題です。