25-27 禍福はあざなえる縄の如し

1. 禍福はあざなえる縄の如し

 「禍福(かふく)はあざなえる縄(なわ)の如(ごと)し」の言葉の由来は、書物『史記』の「南越伝」の中にあります。この書物は、2100年ほど前の中国の司馬遷が現した歴史書です。

 原典では、「禍によりて福をなす。成敗の転ずるは、たとえばあざなえる縄のようだ」です。
 原典の意味は、「禍があると次に福になる。成功があると次に失敗につながる。これは、まるでより合わせた縄のように、禍福や成敗が交互に変化していく」ということです。

2. 人間万事塞翁が馬
 「人間万事塞翁が馬」という故事は、2100年ほど前の中国の古典「淮南子(えなんじ)」にあります。
 この言葉の意味は、人生は「塞翁の馬」のようであると云うことです。
 「塞翁(さいおう)」は、国境の砦の近くに住んでいる老人ことで、その老人は占いが得意です。
 「馬」は、その老人が飼っている馬です。
 「塞翁が馬」の意味は、禍(不運)があれば次に福(幸運)が起こり、福があれば次に禍が起こるというように、禍福が交互に繰り返されるということです。
 しかし、禍福が何時起こるか予測できません。

 「塞翁が馬」の故事の内容は、次のように変化します。
① 馬の逃亡
 塞翁が飼っている馬が、ある時、隣の胡の国に逃げてしまいました。
 人々は塞翁を慰めますが、塞翁は「これは幸運になるかもしれない」と言います。

② 駿馬の到来
 数ヶ月後に、逃げた馬が胡の駿馬を連れて帰ってきました。
 人々は塞翁を祝福しますが、塞翁は「これは不幸になるかもしれない」と言います。

③ 息子の怪我
 塞翁の息子がその駿馬に乗っていると、落馬して腿の骨が折れました。
 人々は塞翁を慰めますが、塞翁は「これは幸運かもしれない」と言います。

④ 戦争と徴兵
 一年ほどすると、胡の国の人が砦の中に入って来ました。

 壮年の男子は、弓を持って戦いました。戦いに出た人たちは、十人中、九人が死んだそうです。
 骨折した息子は戦うことができないので、父子共に無事に過ごせました。

 なお、「禍福はあざなえる縄の如し」や「人間万事塞翁が馬」の諺とは、「人生の予測は不可能です。だから、幸運な時には慢心せず、不幸な時には希望を捨てないで未来に向けて進むこと」だと思います。

3. 手づる

3.1. 手づるとは
 「手づる」を辞書で調べて見ると、次の二つの意味があります。
① 人とのつながり・人脈・縁故
 勉学、就職、人事異動、仕事などて「紹介してもらえる人」や「頼れる人脈」のことのです。

② 手がかり・糸口
 課題の解決、調査研究、事件捜査などで「突破口となる情報」や「ヒント」のことです。

3.2. 「手づる」の実例
 日本経済新聞の朝刊の最終ページに「私の履歴書」が毎日掲載されています。
 毎月一人の人が、自分の経歴や出来事を記載しています。
 その人の人生で、何らかの「手づる」で好転されています。この好転は、その人の「運」の一つだと思います。

3.3. 自分「手づる」の実例
 相当以前のことですが、あるプロジェクトをどのようにまとめていくか、途方に暮れていました。
 五月の連休中に、会社に一人で出勤しました。その時、他の課の友人のことを思い出しました。その友人の自宅に電話したら、在宅していたので、よかったと安堵しました。友人と電話中に、あることがひらめいて、解決の糸口を見つけました。
 電話を切り、短時間でまとめ上げることができました。
 連休が終わり、出勤するときの気分がよく、仕事が大いにはかどりました。

 手づるは、その人にとって大事な時点で現われるものだと思います。
 そのためには、毎日、気持ちを切替えて、新たな気持ちを持つことでしょう。