25-31 お彼岸と霊魂不滅について

 今年(2025年)の十五夜(中秋名月)は、10月6日(月)です。
 その前に、「お彼岸と霊魂不滅について」を一考したことを記します。

1. お彼岸
1.1. 日本の独自の行事「お彼岸」
 彼岸(ひがん)は仏教に由来する言葉です。日本独特の行事としてお彼岸があります。
 お彼岸の期間は春分(3月20日ごろ)と秋分(9月23日ごろ)の日を彼岸の中日とし、前後三日合わせた七日間をさします。
 お彼岸の始まりの日を彼岸入り、最終日を彼岸明けといいます。

 春分と秋分は昼の時間と夜の時間が同じです。この日は、太陽が真東から昇り真西に沈むため、仏教では西方浄土(阿弥陀如来が居る極楽浄土)の日とされています。
 お彼岸の期間に、墓参りや仏壇にお供えをして先祖供養を行います。お彼岸の中日の前後六日間があるのは、六波羅密の修行をする日と言われています。
 六波羅蜜(ろくはらみつ)とは、菩薩として行う六つの修行のことで、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、知恵があります。

 岩手県宮古市の東部に浄土ヶ浜があります。海水は澄んで底が見えるくらいきれいです。
 この浄土ヶ浜の名前の由来は、江戸時代に、宮古山常安寺の霊鏡竜湖(れいきょうりゅうこ)和尚によります。和尚は、天和年間(1681年から1683年)に、この浄土が浜の景観を見て「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたと伝えられています。
 さらに東側に賽の河原があります。賽の河原の前に浄土ヶ浜を三途の川と見立てその西側が極楽浄土としているようです。

1.2. 仏教の彼岸
 彼岸とは、インド仏教のサンスクリット語の「波羅蜜多」を漢訳した「至彼岸」に由来します。至彼岸は、悟りの境地に至ることを意味します。
 此岸(しがん)は、私たちが生きる現世のことで、欲や煩悩に満ちた世界をさします。
 彼岸は、悟りの境地に達し、仏の住む浄土の世界に居るということです。
 この二つの世界の間には「三途の川」が流れているとされ、彼岸はその向こう岸を指します。三途の川の手前に賽の河原があります。

1.3. お墓に霊が宿るのか
 お墓は死体や遺骨を埋めた所で、その上に木や石で先祖の印を現します。
 日本では、お盆や彼岸に先祖の霊がこの世に戻ってくるので、お墓参りをして先祖の御霊に手を合わせ、先祖の霊と交信できるという風習があります。
 お墓は、霊が宿るというよりも、故人を偲ぶ場所と考えた方がいいのではなかろうか。

2. 霊魂不滅
 霊魂とは何かですが、霊と魂を区別して見たらどうかです。
 人はこの世に生まれたときに、その人の肉体に魂が宿ると思います。この魂は、宇宙空間に浮遊していた霊が、その人の肉体に宿ります。肉体のどこに宿るかは分かりませんが、その人の諸々の思考や行動や運命を支配していると思われます。

 その人が亡くなると、魂が人体から離れて、霊となり、宇宙空間に浮遊しているということになります。これが繰り返されるので、霊魂不滅といえます。
 仏教の輪廻転生の思想と似ているような気がします。

3. 日日の供養
 先祖の命日に、その先祖を供養だけでいいのでしょうか。
 自分が今この世に居るのは、どの先祖の霊かわかりません。先祖に関係あるすべての霊も、日日供養するのが望ましいと思います。